激動?の2006年

〜私の職場復帰体験〜


 

〜2006年秋までの私〜
子供の頃から学校の先生になるのが夢でした。
短大卒業後、小学校の産休の先生になりました。
6年間、小学校の先生をやった後、結婚。 3月の契約満了まで勤めて退職。
子どもを産んで、3歳頃までは自分で育て、保育園に預けられる頃になったら復帰するつもりでした。

しかし!!

妊娠しませんでした。
不妊治療を始め、本屋でパートをはじめ、妊孕と出会いました。
不妊治療はやめましたが、本屋&妊孕中心の生活が楽しくなり、いつしか退職後7年たってしまいました。

 

〜7年間の間〜
小学校へ復帰する気持ちは、なかったわけではありません。
でも積極的に復帰しようと動いていたわけでもありませんでした。

・・・そのわけは??
・小学校の激務にコリゴリだった。 (成績処理の時期は11時ごろまで学校で仕事をしていました。)
・職員室の人間関係に疲れていた時期があった。(職員室は女の世界・・・女のいやらしい面もいっぱい見ました。)
・妊娠するかもしれなかった。(産休の先生が、妊娠したからといって、また担任交代していては子どもに迷惑をかける。)
・7年間の間に、教育は大きく変わっていた。(週5日制・英語・パソコン教育・ゆとり・総合など)
・妊孕活動が楽しかった。(これは、今もです)

 

〜復帰を決心〜
居心地のよい、パート主婦を楽しみながらも、このままでいいのか?と言う気持ちは心の隅にありました。
新聞では、教育の記事に目が留まり、近くの自治体で非常勤講師の募集をすれば、一瞬「どうする?本屋をやめて履歴書送る?」と考え、と言う日々でした。夫とも、これからずっとパートでいいのか?という話はしました。でも、上に挙げたような理由でなかなか決心がつかず、「いまさら復帰は、無理だよね。」で、家族会議は終わっていました。
だから、一人で決心できたわけではありません。

私の後押しをしてくれた人たち
・藪田先生
妊娠しても、しなくても、「いい一年だった」と思えるような過ごし方をしてほしいと、何度も教えてくださいました。また、自分の人生は自分で切り開くものと言う言葉も心に残っています。

・新美先生
「好きなことからは絶対に離れてはだめ」
と、私に言い続けてくれました。また、新美先生自身が
「好きなこと」である、看護の道を歩む姿を間近で見ることができ、自分と重ねて考えることができました。

・妊孕会員のC子さん
ある日、彼女からメールが来ました。 「子どもが保育園に行けるようになったら、教師になりたい」と言うものでした。彼女は、教師経験はありません。経験がなくて、子どもがいるのに、大変なことを承知で夢をかなえようと前進している。それを知ったら、私の「復帰できない理由」はちっぽけなものに思えてきました。

・妊孕仲間
フルタイムで働くことで、一緒にサークル活動のお手伝いをしてきた仲間たちには迷惑をかけます。でも、私が職場復帰しようと思うと、メールをしたらみんなが私の決心を祝福してくれました。

・夫
はじめは私の心変わりに驚いていました。
でも、「子供の頃の夢をかなえられる人は少ない。チャンスがあるならやるべき!」と、応援してくれました。


 

〜就職活動スタート〜
産休の先生になるには、教員免許を持って教育委員会に出向き、リストに登録する必要があります。 産休や病欠など、空きが出次第、勤務地や担当教科などの条件の合う講師が採用されます。

2007年度の4月くらいに仕事が開始できたらいいなあと思い、まずは現在の情況を聞いてみようと、ある自治体に電話をしました。
この1本の電話が、怒涛の職場復帰の始まりでした。
講師の登録をしたい旨を伝えると、「いつから働けますか?実は今、介護のために退職するかもしれない先生がいて、代わりの人がいなくて困っているのです・・・。あしたにでも、登録にこれませんか?」とのお返事。
翌日、履歴書を持って、登録に行き面接を受けました。
結局、その先生は退職をしないで介護をしていくことになったそうで、私は採用されませんでした。
ちょっと残念だったけど、のんびり待てばいいやと思ったある日、また電話がかかってきて、とある小学校の5年生担任として採用されました。

 

〜子どものパワーはすごい!〜
役所に登録してから約1ヵ月後。2006年10月、復帰をしました。歌とドッジボールが大好きな瞳キラキラの子どもたちが、私を迎えてくれました。
7年間のブランクがあるので、浦島太郎状態・・・。
英語の外国人先生はいるし、パソコン教室があってひとり一台PCを使って授業をするし、授業の進め方も変わっていました。
慣れるのに精一杯な上に、特に忙しい学校に配属されてしまったようで7時45分〜21時頃まで学校で仕事をする日々・・・。帰宅するとくたくたです。
でも、学校に行くとどんなに体がきつくても、笑顔になれるんです。子どもたちのパワーはすごいです。

私の心にもうひとつ変化がありました。
それは自分の妊娠について。結婚後一度も妊娠できず、妊娠はあきらめてはいないけど、でも積極的に治療をする気にもなれず、これから自分がどうしたいのかあまりはっきりしていないところがありました。
担任するクラスの子どもたち27人はとてもかわいい。そんな、子どもたちと一緒に過ごすようになったら、自分の子どもが欲しいなあと思うように。やっぱり妊娠したいんだなあと、自分の気持ちを確認しました。これも、子どもパワーかな? 夏のメルマガを思い出しました。

「和尚さんの言うには、子宝に恵まれたい人は、知り合いの子どもにまず自分から 「縁」を作りなさいといわれました。 例えば、お菓子をあげたり、世話をしたり、そういう縁を作り、 その子どもたちから「子宝の縁」を結んでいきなさい。 子どもとの縁を子宝の呼び水としなさい。というのです。」 (8月25日 メルマガより抜粋)

私はまだ妊娠していません。治療もまだ再開しようとは思っていません。ただ、自分がどういう気持ちなのかがはっきりできたというのは、今、担任している子どもたちとの「ご縁」のおかげだなあと思います。

 

〜7年間で学んだこと〜
パート主婦で、積極的に妊孕に参加していた7年間 は、職場復帰する私にとってマイナス?と、思っていたところがありました。
でも、実際に働き始めたら、この7年の経験は、かけがえのないものであることに気づきました。

・命の大切さ
子どもに命の大切さを伝える仕事。不妊経験がなければ、生命の大切さや神秘に気づくことはなかったかもしれません。

・夫への気持ち

愛知組メンバーのなかでは、有名な? P子=かかあ天下の我が家。
忙しい私に代わって、夫は本当に家のことをよくやってくれています。以前の私なら「私も働いているからやってくれて当たり前よ!!」と思ってしまう傲慢妻でした。妊孕で、いろいろ学んでいくうちに夫への気持ちも変わってきました。 今も忙しくて当たってしまう日もあるけれど、感謝の気持ちでいっぱいです。

・接客経験

約6年ほど本屋で仕事をしました。レジや、カウンター業務を通して、人との気持ちのよい接し方を学びました。ただし、学校の電話を受けたときに「ありがとうございます。○○書店××店でございます。」と元気に言いそうになるのを何度も飲み込みました・・・。

・ヨガクラス、四季報、オンライン勉強会など

人前で何か話したり、自分の思いを表現するのが苦手だった私。(今もですが)
妊孕では、自分の経験や思いを出す場面がたくさんありました。
担任として、自分の思いをいろんな形で子どもや保護者に伝えます。こういうときに、妊孕での経験が生きているなあと思います。

・ヨガ・食事・呼吸法など

忙しいからこそ、自分の体や心と向き合うことが必要です。 自分の体がどういう状態か知り、整えていく方法は、妊孕でたくさん学びました。また、「命をいただく」と言う食事に対する一番大切にしたい気持ちは、給食指導でも生きています。

・大らかになる?
呼吸とも関係があるのかもしれませんが、昔よりもイライラが少なくなり、子どもとゆっくり向き合えるようになりました。

こうやって振り返ってみると、私の7年間は無駄ではなかったと思います。

 

〜これからの自分〜
これから、私の人生はどうなるのだろう?ママになる日が来るかもしれません。妊娠できなかったけど、夫婦で仲良く暮らしているかもしれません。 どうなるかは、分かりません。
ただ、自分にとって、これがベストなんだと思える選択をしていきたいと思います。失敗したら、やらなきゃよかったと後悔するかもしれません。でも、そこから学べばいいのですから。
「やらずに後悔するなら、挑戦して後悔しよう」 今は、こんな気持ちです。

by P子